このブログは30代一児の父であるKが、妻との壮絶な決闘(デュエル)をきっかけに、信頼と絆で結ばれた明るく輝く家庭を目指し、日夜奮闘していく物語である。
昔々あるところに、結婚して間もない夫婦がおりました。
その夫婦の間には、元気な男の子が誕生しましました。
夫婦はこれまで以上に精を出し、妻は育休をとり育児と家事を、夫は一家の大黒柱として仕事と家事を一生懸命やっていました。
とある休日、夫は妻からある頼まれごとをされたのです。
夫は息子をお風呂に入れたあと、こう思いました。
お風呂お願い!でいいじゃん。「してくれてもいいけど」って、上から目線やな。腹立つわ!
そんなイライラが沸き起こり、夜も眠れなかったそうです。
これ実話です。宇宙から見たら、ほんと微生物以下、もはや量子サイズの小さな問題です(笑)
ですがこのエピソードから得た気づきの大きさたるや。
言葉って使い方1つで、人を傷つけたり・不快な気持ちにする武器にもなれば、人を癒したり、救ったり、明るく気持ちにする、魔法のようなものだということです。
特に親しいパートナーだと、本性が剥き出しになり、言葉への配慮や気遣いが減ってしまいがち。
かといって言葉への気遣いをしすぎると、今度はめんどくさくて、会話したくなくなってしまいます。
じゃあ、どうしたらいいのか?
今回の記事では、冒頭の物語のように妻の些細な言葉にイライラしていた僕が、その状態を抜け出すために実践した考え方について共有したいと思います。
不意にくる妻の一言に、カッチーンときたり、傷ついたお父さんたちが心穏やかに過ごせるヒントになれば幸いです。
イラっとしたら、言葉にフォーカスしてると自覚することが大切
妻の些細な一言にイラっとしたり、カッチーンときたら思い出してください。
言葉に振り回されてる自分がいることを。
まずココが大事なポイントです。
相手の言葉を追わない(気にしすぎない)こと。
というのも、「言葉はただの末端で、問題はその部分以外にあるから」です。
それを言葉という漢字から考えてみたいと思います。
言葉は「言の端」 表面的なものを追うと、より大切なものが見えなくなる
言葉という漢字を分解すると、「言の葉」になります。
葉は枝から生え、枝は木の幹から伸び、木の幹を根っこが支えているように、言葉はただの葉っぱでしかありません。
別の言い方をするなら、言葉は「言の端(ことのはし)」とも言えます。
だから相手の言葉にイライラしたり、不満に思ってしまうのは、葉っぱばかり見ていて、肝心な部分が見えていない状態です。
葉っぱばかり見ていても、
- どんな枝から伸びてきたのか?
- どんな幹から伸びてきたのか?
分かりません。
つまり、言葉だけにフォーカスしてしまうと、断片的で表面的なことしかわかない。そして全体像が見えなくなってしまいます。
じゃあ全体像をつかむためにはどうしたらいいかというと、その葉っぱ(言葉)の奥にある幹や根っこなど、相手の背景や相手の真意を汲み取るように心がけること」です。
言葉は今持ってるボキャブラリーで表現したものに過ぎない
そもそも人は、知らない言葉は話せません。
全く英語を知らなかったら、こんにちはの「Hello」も言えないし、逆に「Hello」と言われても、「こんにちは」のことなんだと理解できません。
「カワイイ」という言葉もその1つみたいなものです。
「カワイイ」という言葉には様々な表現がありますよね。
例えば
- 愛くるしい
- 愛らしい
- 可憐
- チャーミング
- 甘美
などなど。
それぞれ「カワイイ」という要素を含みつつも、言葉の温度感や雰囲気が違います。
でも語彙力が欠けてると、それらの言葉は「カワイイ」という一言でしか表現できません。
語彙力がさらにないと「カワイイ」すらも「ヤバイ!」という一言に集約されてしまいます。
そして、その語彙力などは育ってきた環境や、生まれてから見聞きしてきたものによって多い少ないが左右されます。
つまり、これまで生きてきて学んだ事が、言葉(語彙力)として出てくるのです。
人はお互いを100%理解できない
だからこそ言えることがあります。それは人がお互いを100%理解する事なんてできないということです。
なぜなら育ってきた環境も違えば、親・兄弟・友達・同僚・先輩・先生などから教えてもらったことや、これまで培ってきた価値観が違うからです。
たとえば、野菜や果物も同じことが言えます。同じ畑・温度・栄養を与えて育てた野菜でも、全ての野菜が100%同じ形や味になることはありません。
まさにアーティストの山崎まさよしの名曲「セロリ」での
育ってきた環境が違うから
好き嫌いはイナメナイ夏が好きだったり
セロリがダメだったりするのね
のようなもの。
そう、イナメナイのです。
しかし100%理解できなくても、その%を高めることはできます。
その一番の方法は「同じ体験を共有すること」です。
なぜなら「人はこれまで経験したことしか理解できない」からです。
人は経験したことしか感覚として理解できない&自分に都合よく解釈する生き物
人は体験・経験したことを、言葉で表現するときに、ミスマッチが起こることがあります。
なぜなら、体験・経験したことを言葉にするとき、以下のような3つの加工を無意識でやっているからです。
その3つの加工というのが
- 【省略】体験した情報が端折られて言葉足らずになる。
- 【偏見】今までの人生で影響を受けたフィルターのこと。偏った見方になる。
- 【拡大】良いことも悪いことも一部の経験が全体に適用される。
です。
このような加工が必ず行われるので、相手の言葉にフォーカスを当ててしまえばしまうほど、ミスマッチが起こります。
そのため言葉よりも、相手の体験や経験にフォーカスを当てて、自分の体験と一致させることが大切です。
じゃあ「自分の体験」と「相手の体験」を一致させるためにどうしたらいいのか?
相手に今から同じように体験させるのか?というと、それは難しいです。
じゃあ一体何をすればいいのかというと、以下のような【問いを持つこと】です。
- なぜ「省略」されてるんだろう?
- なぜ「偏見」があるのだろう?
- なぜ「拡大」されてるんだろう?
このような問いをもち、相手の発言の背景に想いを馳せたりて、聞く努力を積むことが大切です。
そうやって聞いていくと、
と言われたとしても
- 本当に心からバカだと思って言ってるのか?
- それとも甘えたいけど、実は恥ずかしくてツンデレしちゃってるのか?
問いを持ち、その言葉が生まれた背景(ストーリー)へ問いを持ち、想いを馳せることで、言葉の受け取り方が全然変わってきます。
前者は「コンニャロっ!」と思う感じですが、後者は「コンニャロっ♡」という感じになります。
このように相手に思いを馳せて、「こういう背景があって今こんなこと言ってるのか」と疑似体験しながら、相手の言葉をそのまま受け取らずに、意味と印象を張り替えていくのです。
コミュニケーションの極意。人は常に誤解、誤差が生じるもの
またいつも読ませていただいている小田真嘉さんの「成長のヒント」にも同じようなことが書かれていて、とても参考になったので引用させていただきます。
どんなにコミュニケーション能力が高くても
事実や思いを
正確に伝えることはできない。そして
相手の考えていることや感じていることを
正確に理解することもできない。伝える方は
思い込みのフィルターがかかり聞く方は
自分の都合(アンテナ)に合わせて受け取る。だから
常に誤解、誤差が生じるもの。伝える前、聞く前に
それまでのお互いの関係性で
何が伝わるのか8割決まり残り2割は
伝える方は
どんな想いを乗せるか聞く方は
どう受け止めて活かすか
という意識で決まる。ポイントは
そもそも誤解、誤差がある大前提で
- 好き勝手に無視意識でしゃべらない。
- 聞いた情報を鵜呑みにしないこと。
そして日頃から
いい誤解をされるような
人間関係を築いていくことを心がける。いつでも、何ごとも
みんなが良くなっていくように
前向きに受けとめて動く。by 成長のヒント
日常で使うためには
まずは「相手の言葉にイライラしたら、言の端を気にしている自分がいる」と自覚することがスタート地点です。
普通ならカチンと来たら衝動的に何かしがちですが、「相手の言葉にイライラした」と意識して自覚できると、一旦自分に対して冷静になるようストップをかけれます。
するとこれまで、イライラして余計にエネルギーを使うことがなくなり、気持ち的も楽になります。
落ち着いたら、相手がなぜそんな言葉を言ったのか、直接聞ける場合は聞くことが一番です。
もしも聞けないようなときは、相手の背景に思いを馳せてみることです。
するとこれまでに相手が発していた何かしらのメッセージ(行動など)に気づくことができます。
一度立ち止まって、振り返る、相手にとって違ったなと思ったことを改善していく。
そうやって自発的に働きかけていくと、徐々に流れも良い方向へと変わっていきます。
発言にイライラさせられたり、なんだか最近言われたらイラっとするなと思う方は、ぜひ試されてみてください。