ヴァッシャァァァァァアアアーーー!!!
目を開くと、僕は全身ビシャビシャになっていた。
深夜1時に起きた悲劇。
その出来事は幸か不幸か…
『僕』の運命の歯車を大きく動かす出来事になった。
あの瞬間、僕は決意した。
新しい自分に生まれ変わることを。
このページでは、このブログを作った理由(=最高の伴侶を目指すに至った物語)を書かせていただきます。
2020年、結婚歴3年目・育児歴2年目の旦那&父親の僕は、
並々ならぬ使命感に駆り立てられ、無我夢中でキーボードを叩いています。
と思われるかもしれません。
なぜ僕が映画や漫画の主人公のような「使命感」へと駆り立てられているのか?
ことの発端は『深夜1時の悲劇』という事件にありました。
たとえるなら、進撃の巨人第1巻。突然現れた大型巨人が壁をぶち壊し、大パニックになったあの衝撃のシーン。
アレと同じ衝撃が僕を襲い、平凡な日常は180°真逆のカオスな日常へと変貌したのです。
その瞬間、頭に流れ始めたドラクエのファンファーレは、まるで僕を冒険の世界へ誘うかのように、人生の歯車をグルグル回し始めました。
そして僕は
- 妻に「あなたと出会えて幸せ」と思われる最高の旦那
- 子供に「この家族に生まれてよかった」と思われる最高の父親
- 仕事仲間に「Kさんがいると助かるよ」と喜ばれる最高の仕事人
これらを満たせる最高の伴侶(パートナー)になる決意をしたのです。
このブログでは、最高の伴侶(パートナー)を目指す中で生まれた悩み・葛藤・苦しみ。
それらを乗り越えるために得た教訓、学び、気づきなどのあれこれを発信していきます。
もしもあなたが僕と同じように、
- 旦那として
- 父親として
- 仕事人として
もっと自分を磨きたい、成長させていきたいと思っていたなら、何かしらヒントが得られる部分もあると思いますので、ぜひブログを読んでいただけると嬉しいです。
【第0章】僕の誤った価値観
そもそもなぜ僕が最高の伴侶(パートナー)になる決意をしたのか?
そこにはちょっとしたドラマがあったのです。
このブログの重要な部分をお伝えするには、少しだけ僕の過去をお話しする必要があります。
ちょっとだけ長くなりますが、お付き合いください。
幼少期から育ててきた価値観
結婚するずーっとずーっと前のこと。
およさ8歳頃から、僕には大切に育ててきた「価値観」がありました。
それは「家事・育児・仕事をこなすマルチな父親は、円満な夫婦関係をつくれる」というもの。
この価値観が生まれた背景には、僕の両親が大きく影響しています。
僕の父は、仕事と飲酒以外まったく何もやらないMr.亭主関白。
かたや母は父の自営業を手伝いながら、育児・家事をこなす、至ってどこにでもいる極々普通の夫婦。
ただ、母親は嫁いだ瞬間から父の一族に煙たい目で見られ、まるで空気のような扱いを受けていて、父もそれが当たり前という感覚でした。
母はそんな父の態度に毎回ストレスを溜めては、ぶつけてを繰り返す日々を送ります。
ある日の深夜。父と母がドンパチしてるのを8歳の僕、そして3歳の弟、0歳の妹と一緒に見たときは、
と子供ながらに夫婦喧嘩をそんな風に観ていたのを今でも覚えています。
夫婦二人だけの問題ならよかったものの、喧嘩をするたび母の悪口のアウトプット先に選ばれたのは「僕」。
あと姑から嫁さんを守る人になりなさい。お父さんみたいになったらダメよ。
毎度のごとく母から聞かされる不平不満に嫌気がさした僕は、次第にこう思うようになりました。
そして、僕の中に次のような価値観が芽生えていきます。
母親の文句を聞かされ続けるのは、父親が仕事だけするせい。
仕事も家事も育児もできる男になれば、夫婦喧嘩は起きない。つまり、子供もめんどくさい事に巻き込まれなくて済む。
だから、僕は家事も育児も仕事もできる男になろう!
これが8歳頃に両親を見て学んだ夫婦の教訓。
この価値観が後に『重大な勘違いだった』と気づくことになろうとは…
この頃は思いもしませんでした。
一家に一人は欲しい旦那像
大人になった僕は紆余曲折ありながらも、交際2ヶ月で結婚。
その9ヶ月後には子供も誕生し、世間が認めるようなラブラブ夫婦ではないものの極々普通の家庭を築きました。
家族のために仕事も副業も精を出し…
『妻が夫にやって欲しい家事・育児ランキング』のうち、8割こなす主夫にもなっていたのです。
正直なところ…
「一家に一人は欲しい旦那ランキング」があれば間違いなく上位に食い込めるだろうと自負しているくらいでした。
これも幼い頃から温め続けてきた価値観のおかげだと思いながら、毎日の些細な幸せを噛み締めていたのです。
………
『深夜一時の悲劇』という事件が起きるまでは…
その事件によって長年大切に育ててきた価値観は、いとも簡単にぶっ壊れてしまったのです。
ではその事件とはどんなものだったのか?
ここからは、当時を忠実に再現した形でお伝えしようと思います。
【第1章】深夜1時の悲劇 – 僕がボコボコにされるまで
あれは雨がパラパラと降る、まだ少し肌寒い3月の深夜1時を過ぎた頃。
妻と僕、そして友人の三人で、楽しくお酒を飲んでいたときのことです。
ガヤガヤと盛り上がっていた楽しい空間が、突然キンキンに冷めた地獄の空間へと変わりました。
怒号・罵声・デスボストリーム
ふざけんじゃねぇぞぉおおおーっ!
そう、妻がブチギレたのです。
みるみる真紅に染まる表情と、僕めがけて飛んでくる怒号と罵声のデスボイス。
あのブチ切れ模様はまるで、ONE PIECEでルフィにブチギレた魚人「アーロン」。
否ッ!!!
あの鬼の形相(かお)のような姿はまるで…

地上最強の生物「範馬勇次郎」!!
ブチギレた妻が僕を見る目は、バッキバキのビッキビキのミッキミキに…
キマッていたのです。
おそらく僕と友人は同じことを思ったでしょう。
状況をまったく理解できずにフリーズしている僕。
そんな僕を見た妻の怒りはさらに燃え、気づけば僕たち夫婦は
かれこれ15分ほど続いたディスり合いの後…
僕は衝撃的な光景を目の当たりにします。
殺意の波動に目覚めし者
怒りのおさまらない妻は、テーブルにあったレモンサワーのビンをグッと強く握り締め
と圧をかけてきました。
妻から「HUNTER×HUNTER」のゴンのような
その雰囲気に恐怖を感じた僕は、焦りながら余計な一言を妻へ放ってしまったのです。
強く出てしまったっ……と、内心震えてましたよね。
妻をチラッと見て
と思った瞬間でした。
僕めがけて「ビュンッ!」
ビンを振りおろしてきたのです。
僕の脳(スーパーコンピューター)は瞬時にビンの当たらない距離を弾き出したものの、軽く頭に被弾!
一歩間違えれば、ガチの大事件になるところ…(ここだけ切り取ると警察沙汰)
そう思った僕は「ふぅーーっ!」と、全集中の呼吸で荒ぶる己の心を鎮め、菩薩のような気持ちで、妻にこう言ったのです。
まるで凪のような静けさが空間全体へ広がりました。(イメージの中で)
しかし…
大炎上です。
「殺意の波動に目覚めし者」になった妻。
現場は修羅場から地獄絵図へと変わりました。
No 暴力 No Life
ヒステリック値が上昇し行動がエスカレートしていく妻とは対照的に、どんどん冷静さを取り戻していく僕。
必死に暴れる妻を静止しつつ、裏では友人を夫婦喧嘩に巻き込んでしまった申し訳なさが募っていました。
妻を正面で抑え
まるでエクソシストのような気持ちで、妻から悪魔を切り離そうしながら(イメージで必死に十字をきってました)
同時に背後にいる友人へ謝罪。
気づけば
妻
↓
僕
↑
友人
という板挟み状態だったのです。
悪魔(妻)の進行を食い止めつつ、友人への謝罪をこなす自分に、「なんて器用なやつなんだ」と自惚れてるいると…
突然僕の背中に「ズキッ!?」と謎の痛みが走ります。
バッと後ろを振り返ると、そこには…
ファイティングポーズをとった小柄な「愚地克巳」がいたのです。
時すでに遅し…
妻は愚地克巳の必殺技「正中線四連突き」を、僕の背中に叩き込んでいました。
人間の正中線上にある急所のうち、金的→水月→喉→人中の順番で一挙動で打ち込む技で、人体を発狂寸前までに追い込むほどの威力がある、とても危険な技です。
30発ほど叩き込まれながら必死に耐え続ける僕。
そう思っていた矢先、妻の暴力の雨が止んだのです。
なんて晴れやかな気持ちで、パッと振り返ると…
今度はグラップラー刃牙の名シーンの一つ「花山薫VS愚地克巳戦」での、音速のコンビネーションラッシュッ!!
正直妻をビンタしそうになりました。
しかし、トラップカード「騎士道(効果:女性に手を出さない)」の発動によって、ギリギリストップ。
僕の残された選択肢はただ一つ。
ひたすら耐える!耐え続ける!!(剣道で打たれ慣れててよかった)
妻の技を全て耐えた僕の心と体は、ボロボロ状態でした。
罪穢れを払いたまえ清めたまえ
罵声・怒号・文句・悪口・暴力…さっきまでの幸せな日常は一瞬にしてなくなりました。
僕はたった小一時間で、光の時代→はざまの時代→闇の時代という夫婦に訪れる3つの時代を股にかけたのです。
この時、現場にいた誰よりも強くっ!強くっ!!強くッ!!!
そう願いました。
すると、まるで僕の願いが神様へと届いたのか、妻が落ち着き始め、ゆっくりと椅子へ腰掛けようとしてるではありませんか。
その姿を見た瞬間、
僕は心底、安堵しました。しかし…
神様の試練はまだまだ残っていたのです。
焼酎がタップリと入ったグラスを手に取った妻は…
僕の顔面に向けてぶっかけてきたのです。(もしお湯割だったら顔面溶けてました)
まさか昼ドラのような体験をする日が来るなんで思いもしませんでした。
ところでドラマで見る顔にぶっかけられるシーンを見るたび
と思っていました。
ただ、今なら分かります。不可避です。(世界チャンピオンの亀田家のボクサーグローブの竹刀で突かれるトレーニングしてたら避けれるかもですが…)
全身ヒッタヒタの焼酎漬けになった僕は、妻のダメ押しで無意識に次の言葉が勝手に出てきました。
人様がいる前で、こんな行動を起こす妻の姿が本当に怖かった。もう一緒に居続けたいという気持ちが消えてしまったのです。
妻はまるでガンバレルーヤの「よしこ」のように
そう吐き捨て、寝室へと向かって行ったのです。
おっさんの人生初体験
深夜。散らかった部屋の片付け中、僕の心は怒りと悲しみに満ち溢れていました。
もうその時の気持ちの重さたるや、下半身が地球にめり込んでいるのでは?と思うほど、ズーンとなっていたのです。
ほんの数時間前まで、エンジェルだった愛する妻はどこへ行ったのか。
まるで悪魔に取り憑かれたかのように魔王へ変貌した妻を見て、僕にはこんな思いが湧きました。
この事件を機に、僕の中で妻は何をするかわからない恐怖の存在へと変わったのです。
興奮状態が続き、ギンギンに冴えてしまった僕は、眠れず朝を迎えることになります。
そして、朝日の輝きに照らされながらこう思ったのです。
30歳を超えた僕は、中学生でも無いのに、人生初の家出を体験することになります。
家出先はもちろん、事件に同席していた友人の家。
謝ったって許してあげないんだから
家出した僕は2日経てど、怒りが収まりませんでした。
考える度に
と思っていたのです。
しかし、3日目を迎えた頃、ちょっと心境が変わってきました。
どう考えてもおかしいんですよ。「家事・育児・仕事をこなすマルチな父親は、円満な夫婦関係をつくれる」という価値観はパーフェクトなはずだった…
この価値観を持っている限り、夫婦で問題は起きないと思っていたのに、すごい問題が起きた。
問題が起きる以上、相手だけじゃなく、自分にも何か原因があるはず。
つまり、自分のこれまでの妻に対する振る舞いが、何か大きな喧嘩に発展するようなタネを撒いてるに違いないと考えたのです。
でもその原因は一体何なのだ…
考えるとあの出来事がフラッシュバックして、怒りの感情に支配された僕は
と、気持ちはどんどん重く・暗く・冷たい方向へと進んでいました。
結局、答えが出無いまま僕は家に戻ることになります。何をしでかすかわからない妻への不安と、子供の身を案じて。
帰宅すると妻は僕を見るなり
そう謝罪をしてきました。
ただ、その謝罪の姿はとても軽く、本当に反省してないように写りました。酒に酔って覚えてないと。
話し合いで一旦平定したものの、心の中では妻のことを許せない自分がいました。
【第2章】無関心な冷戦時代
気持ちはズーンと落ちたまま数日が経ち、僕たちの夫婦関係は以前から180°変わりました。
歴史で例えると、まるでアメリカとソ連の冷戦時代。お互いに見えないところでバチバチしてる「冷戦時代(無関心)」に突入したのです。
みたいな感じで、世界終末時計の針が進んだり・戻ったりを繰り返すような夫婦関係になっていました。
なぜ無関心な関係になってしまったのか?
それは妻を許せなかったことと、ヒステリックな行動に正直なところビビっている僕がいたからです。
妻の機嫌を損ねたら
- 家のものを壊すんじゃないか?
- 子供に何かするんじゃないか?
- 寝てるうちに刺されるんじゃないか?
そんな不安と恐怖に、心が支配されていたのです。
家庭に安心感を持てず、気づけば無意識に妻を腫れ物のように扱い、距離を取る僕。
思い起こせば出産して間もない頃、妻が荒れた時期がありました。
夜泣きで眠れない日々を送り、育児疲れとやりたいことができないストレスで、
- パンチで家の壁やふすまに大穴を空ける
- パンチで冷蔵庫を陥没する
- 子供に「ワァー!!!!」と叫んでイライラをぶつける
そんな行動をとっていたのです。
当時は
と、目を瞑ることが多々ありました。
ただ、今回のことはどぉぉぉーっしても許せない。酒に酔ってたら暴力していいのか?子供にもそう教えるのか?と。
「妻に自制心を持ってほしい」という願いもあり、簡単には許せない自分がいました。
被害者意識で裁く男
暇さえあれば頭に浮かぶのは、家庭のことばかり。
考えてはため息をつき…
仕事に身が入らず、ケアレスミスを連発してしまうこともありました。
日々問い続けても、見つからない答え。
むしろ問えば問うほど、
このように正しさで妻を裁く、被害者意識に染まった男になっていたのです。
み尽くすことが、愛の道
ところがある日のことです。僕はこんな考えを持つようになりました。
なんかもう飽きちゃったんですよね。いつまでも妻のことを許せない器の小さな自分に。
その時、たまたま目の前にあった昔メモをとっていたノートをパラパラと見返すことに。
すると、僕の目に一つのメッセージが飛び込んできました。
【愛の道】
愛情とは、みること。
見よ。視よ。観よ。回よ。看よ。
み尽くすことが、愛の道。
この言葉を見た瞬間、僕はこう思ったのです。
妻が一体…
- 今日一日どんな気持ちで過ごせただろうか?
- 何か悩んでることや困ってることはないだろうか?
- 辛い事・しんどい事を少しでも軽くできてただろうか?
そんな風に思いを巡らせていた時、僕は自分の大きなミスに気づいてしまったのです。
これまで幼い頃から育ててきた「家事・育児・仕事をこなすマルチな父親は、円満な夫婦関係をつくれる」という価値観には…
重大な欠点があったのです。
それは『相手の心に目を向けれてないこと』です。
僕は自分のやるべき事をやった後は、いつも自分のやりたい事を優先していました。やるべき事をやっているから文句は言われない、そういう考えがあったからです。
でもその考えが夫婦にとって大切な、お互いの心に目を向ける時間を奪い、どんどん妻に不満を募らせ、大爆発を起こした。
家庭に安心できる場所を作っていると思っていた僕は、蓋を開けてみれば…
妻にとっては心から安心できる場所を作れていなかったのではないか?
そう考えたのです。
言葉の裏にある思い
深夜1時の悲劇が起きた日、妻は僕に次のように言いました。
自分のやりたいことやって、私はやりたいこと1つもできない!
私は飯炊きババアじゃないっ!
その時は意味がわからなかった発言も、改めて考えてみれば
と、一度想像してみたのです。
妻が楽になるだろうと思ってやった行動は、逆に妻へ「俺のやることに干渉するな」と見えないプレッシャーを与えていたのかもしれない。
妻は僕と話しをしたくても、僕が無意識に話をしづらい状況をつくり、ひとりぽっちで頼りたくても頼れない気持ちにさせていたかもしれない。
自分の正しさを守るために、己の正義で妻を裁き、追い込んだ結果が今回の出来事につながったと思ったのです。
良い旦那を振る舞っていたつもりが真逆。妻にとって誠実さのかけらも無い不誠実な男。
しかも自分は求めるのに相手に対してまったく与えない、一方的に奪うだけの旦那になっていた。
そう。
僕が大切にしてきた価値観は、ただの役割しか満たせず、最も重要な心を満たすことが欠けていたのです。
過去の執着を捨てる
子供が生まれた時「背中で語れるカッコいい父親になるぞ」と思っていたのに、まったく逆の「お母さんを悲しませるカッコ悪い父親」になっていたのです。
あの悲劇以来、妻を許せない自分がいました。ふざけんなと思う自分がいました。
でもよくよく考えると…
それは妻を許せないのではなく、妻をそんな状況まで追い込んでたカッコ悪い父親の自分が許せなかったのではないか、と思ったのです。
自分の不甲斐なさを自覚した瞬間、妻も子供も真に守れない価値観など、もういっそ捨ててしまおうと決意しました。
お互いにとって、何がベストなのかを改めて作っていく、それが大切だと気づいたからです。
それからというもの、僕の中で幼い頃から大切にしていた価値観が、ボロボロと音を立てて崩れ去っていくような…
なんだかそんな気がしました。
【第3章】新たなる世界へ
僕が妻との関係でできていなかったこと。
それは「自分と妻を分離させてしまっていた」ということです。
分離とは言わば、自分と相手の違いを受け入れずに反発している状態。
その原因となっていたのが、幼い頃から育ててきた価値観にあって、役割だけやっとけば大丈夫という自分の逃げ癖にありました。
幼い頃、母親がことあるごとに言っていた
あと姑から嫁さんを守る人になりなさい。お父さんみたいになったらダメよ。
これは今思えば
役割をこなすことは大事だけど、それ以上に困っている人がいたら手助けすること。そして一番大事なことは、相手のことを大切にする(違いを受け入れる)人であること
そんな教えが含まれていたんじゃないかなと思えます。
そう考えていた矢先でした。
僕は自分の息子を通して、”母親”という存在の偉大さに気づかされることになります。
家庭の太陽と循環
あれは、熟睡している息子と二人で留守番していた時のことです。
悪夢でも見たのか息子がめちゃくちゃ大泣き。
そんな息子を落ち着かせようと、色々あやしてみたものの一向に泣き止まず…気づけば2時間が経過。
これまで30分ほどで泣き止ませできてた僕にとっては、泣き止まない息子に心が折れそうになっていました。
ちょうど帰宅した妻がそっと息子を抱きあげ、「大丈夫よ」と、ニコッと笑顔を息子見せたその瞬間…
泣き続けていた息子は妻の笑顔に安心したのか、ニコッと笑顔を返し、また深い眠りについたのです。
たった一瞬の出来事ですが、僕にとってとても印象に残る「母親の偉大さ」を痛感する出来事になったのです。
それと同時に
そう思いました。
つまり、家族には循環がある、ということです。
妻の笑顔が、子供に安心感を与え幸せな気持ちにする。子供の笑顔が、僕に日々の活力を与える。
妻から子へ、子から僕へ、僕から妻へ。家族にはそんな循環がある。
でも今の僕は妻と冷戦状態。循環なんてまったく起きていません。その事実に気づいた時、
そんな強い気持ちが溢れてきました。
妻が少しでもプラスな気持ちで、笑顔で過ごせる日々をつくることが、我が子の幸せに繋がる。そしてその我が子の幸せが僕に活力を与えてくれる。
それは、仕事にだって活きてくる。すると、僕の人生もどんどん変わり、さらに家族の人生もどんどん変化していく。
まるで、わらしべ長者のように影響の輪が広がっていくイメージができたのです。
和解、そして新たな変化
そして、僕は妻と向き合う決意を固め、目を背け続けてきた妻と一度話をすることにしました。
これまでのことに対しての謝罪と、お互いにどう思っていたのか、そして今後どういう夫婦になっていきたいか。
お互いにとっての”幸せ”のセンターピンは何なのか?を求めて。
時には全然関係のないふざけた話で笑ったりもしました。
妻とちゃんと向き合うことがなかった僕にとって、たった小一時間程度の出来事が、とても新鮮で忘れられない時間となりました。
それからというもの、妻との関係性を機に、自分の「仕事や人生」に対する考え方も、大きく変化していくことになります。
2つの教訓
僕はこれまでの出来事を通じて、次の2つの教訓を手に入れることができました。
一つ目が自分のパートナーというのは、最小単位のコミュニティであり、「雛形」だということです。
だから、夫婦が冷たい関係性になっていたら、真の意味で温もりあるコミュニティなんてつくれないのです。
そしてもう一つが、世界と夫婦関係はフラクタルな関係だということです。
「フラクタル」というのは、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロさんが提唱した概念。一言でいうと「全体」と「部分」は構造が似ていることを指します。
たとえば、夫婦喧嘩をしたとします。するとその関係性は必ず、仕事や他の人間関係などにもリンクしていて、同じ理由で争いや戦争が起きている、ということです。
規模には違いがあれど、同じ構造(=相似形)になっている。
つまり、部分と全体はつながっていて関係しあっている(影響し合っている)ということ。
偉人たちの教え
ところで、世界に影響を与えた過去の偉人たちは、平和というテーマで次のような言葉を残しています。
なぜ、このような言葉を残したのか、今回の一連の出来事によって腑に落ちる部分がありました。
夫婦というのは一番身近な関係性です。
一番本音が言動や態度に出るし、相手の嫌なところも見える、何より自分の乗り越えるべき課題が浮き彫りになる関係だと思っています。
つまり、言い換えると、一番学びが得られる関係なのです。
夫婦で問題(争い)が起きる理由は、相手と自分の違いに反発するからです。
もしも反発という選択ではなく、相手と自分の違いを魅力的に受け入れられるようになれば、争いは起きないのです。
フラクタルな関係だからこそ、夫婦関係が良くなれば、それはやがて他の人間関係にも波及していく。
僕ら夫婦は、すべて腹を割って話せるような関係になったかといえば、まだまだ道半ば。
だけど、少しでも相手を理解し、理解され、自分と同じ方向を見ている人がいるとわかった時の心強さを知ってからというもの、
僕の中で、もっと周りを幸せにできる最高の伴侶(パートナー)になりたいという想いが芽生えてきました。
最高の伴侶を目指す仲間をつくりたい
僕は『最高の伴侶(パートナー)になる』という理想を一緒に体現していく仲間を増やしたいと思っています。
その活動の一つが、このブログ。
自分がこれまで体験したこと、学んだこと、気づいたこと、などを共有して、同じような志を持つ仲間と出会いたいのです。
そうやって同じ志を持つ仲間が増えていけば、きっと世界はもっと輝きに満ちた世の中になっていくのではと思います。
夫婦という世界、家庭という世界、会社という世界、国という世界、いろんな世界がより良い方向へ進む、その最初の一歩がパートナーを理解すること。
そんな気がしてなりません。
そしてその一歩はきっと、自分たちだけでなく子供達にとっても大きな意味を持つのではないかと思っています。
どうしたらもっと自分を幸せにして、相手を幸せにできるのか、それを多くの方と一緒に追求し、お互いにとって理想的な幸せを体現していく、そんな生き方を広めていきたいと思っています。
それが、このブログに込めた「最高の伴侶聖書」というコンセプトです。
これまでの僕の人生があなたにとって希望になったら嬉しく思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。