このブログは30代一児の父であるKが、妻との壮絶な決闘(デュエル)をきっかけに、信頼と絆で結ばれた明るく輝く家庭を目指し、日夜奮闘していく物語である。
昨日まで平和だと思っていたら、いきなり巨人が現れて壁を壊されたり、実は鬼の食料として出荷されているって気づいてしまったり。
そんな風に「当たり前で平凡な日常」というのは、ある日突然崩されるもの。
我が家でその役割を担っているのが、妻です。
あたし料理苦手だから、やりたくないんだよね。
と、まるでふりかけをご飯にかけるかのようにササッと、さらに家庭のタスクを振ってきたのです。
家のこと7割方やってて、さらに詰め込んできたかと。
もう僕の心の茶碗は、てんこ盛りに盛られ、パンパン。
それを気に僕の心は荒れに荒れました。
まるで、ドラゴンボールで圧倒的なベジータの戦闘力の前に現実逃避したくなったあのセルのように。
まるで、ドラゴンボールで圧倒的な孫悟飯の戦闘力の前に現実逃避したくなったあのセルのように。(大切なので2度言う)
なんどもなんども(心の中で)叫んだのです。
もっと成長して、みんなのお役に立ちたいの!
だから応援して欲しいの!
っていう理由なら応援しましょう!と立ち上がれたものの…
ただただ
っていう、不純な動機。
苦手なことはやりたくないという圧倒的なジャイアニズム全快の理不尽さ。
できる人ができるときにやろうという役割分担の放棄。
考えれば考えるほど襲ってくる、さらに時間がなくなるという絶望感。(現時点で早朝4時-6時しか自分の時間がないのです。とほほ)
妻へのイライラに毒された心は、どんどん「暗く・重く・冷たく」なってしまっていました。
そして
なんで…俺ばっかりこんな目に…
という思考がグルグルと頭の中を回り出したのです。
この状態こそ、まさに「RICE(ライス)ステージ」です。
そんな状態では、いろんなことがまともに手がつきません。無気力感に襲われます。
ではどうやったらこの状態から抜けだせるのか?
今日はそのヒントをONE PIECEのあの名シーンを題材にしてお届けしたいと思います。
ONE PIECEのルフィとジンベエの名シーンから学ぶ
世界的に有名なマンガ「ONEPIECE」で描かれた頂上戦争後のルフィとジンベエの名シーンに、夫婦間の理不尽から抜け出すためのヒントがありました。
兄を失ったという苦しすぎる現実に、心と体が追いつかず苦悩するルフィを心配するジンベエ。
しかしルフィは心配するジンベエに向かって
と、くってかかり、さらに自分の体をボロボロに痛め続けました。
このときのルフィは「RICEステージ」に落ちてしまっていて、どんどん心も「暗く・重く・冷たく」なっていたのです。
失ったものばかりを考え自分を苦しめ続け、目の前に希望が見えなくなったルフィに、ジンベエはこう諭します。
そして、巨大な壁に目の前を覆われ前に進めなかったルフィは、ジンベエの言葉によって大切なことに気づきます。
仲間という光があることを取り戻し、復活できたのです。
なぜルフィはジンベエの言葉で復活できたのか?
ルフィはジンベエの言葉で復活しました。
なぜ復活できたのでしょうか?
いい言葉だったから?
ルフィが復活できたのは、ジンベエの言葉を通して視野が一気に広がったからだと思うのです。
当初、ルフィは受け入れたくない現実に苦悩し、後悔と自責の闇にどんどん飲み込まれていました。
そして全て失ったかのように仲間という希望の光さえも見えなくなっていました。
まさに
というような状態です。(エピソードのレベルが違うけど)
このような被害者意識は、いわば「自分のことばかり考えている」状態です。
このままではルフィのようにどんどん闇に覆われる一方で、前に進むことができません。
しかしジンベエの
という言葉によって、
下ばかり向いていた(自分のことばかり考えていた)ルフィは、
顔を上げ、指折り数え、目の前にいるジンベエを見つめ(自分以外のことを考えるようになり)
と希望の光があることを思い出しました。
ルフィの一連の行動からも伝わるように、自分のことばかり考えて下ばかり向いていた状態だったのが、ジンベエの言葉によって、自分以外のことを考えるようになり、前を向き、一気に視野が広がったのです。
「なんで自分だけ…」と思ったときこそ、視野を広げる
ルフィとジンベエのエピソードから言えるのは、
前に進むには、自分のことばかり考えず、受け入れたくない現実を受け入れ、自分以外のことを考えて、視野を広げる必要がある
ということです。
理不尽な人や出来事に面食らってうつむき自分のことばかり考えると、足元しか見えません。
足元ばかり見ていては、
- 被害者意識
- 惰性
- 無気力感
に覆われ、立ち上がることすらできなくなります。
それこそまさに「自分の思うツボ」なのです。理不尽から抜け出せなくなってしまいます。
じゃあそんなとき、立ち上がるためにはどうするのか?
受け入れがたきことを受け入れ、視野を広げるための考え方
どんな人だって、理不尽な出来事・受け入れがたい現実・課題・試練が起きたら、目を背けたくなるもの。
しかしそんなときこそ、視野を広げるためにこう考えてみるのです。
もし、神様がこの人や出来事を通じて、世の中をよくしたいと望んでいるとしたら、一体自分に何を学ばせたいのだろうか?
と見立ててみるのです。
僕の場合の事例
たとえば今回の僕の場合、「妻がもし人の姿をした神様だったら」と見立ててみるのです。
なぜ神様として見立てるのか?
その理由は、神様と見立てることで、その人や出来事が「もっと自分を成長させるために磨き輝くためのヒント」なのだと考えやすくなるからです。
僕が闇に飲み込まれたのは、自分の損得ばかり考えてしまい、被害者意識が芽生えたことにありました。
被害者意識があると余計なことばかり考えて、闇にどんどん飲み込まれていく一方です。
そんな泥沼状態から脱出するためにも、神様はいる・いないは一旦置いておいて、神様だと考えてみるのです。
圧倒的な存在と見立てることで視野が広がる
実力も年齢も同じくらいの人、もしくは低い人にアドバイスを受けると誰でもイラっとすると思います。
ただ圧倒的に上の立場の人(たとえば社長とか)から言われたら、案外すんなりと受け入れられるものです。
そして人ではなく、さらに上をいく神様だと思えばなおのことでしょう。
そんな風に見立てると、受け入れがたきことを受け入れ、目の前の出来事に一喜一憂することも減り、学びや成長に変えやすくなります。
そうすることで下ばかり向いてる状態から、顔を上げ前に進んでいける状態へと変えていくことができるのです。
・・・
そして一人の男は袖をまくり上げ、台所という名の戦場へと歩いて行った。
そう魂に誓って。
To Be Continued…今日は茅乃舎だしで味噌汁作ろう。
まとめ
ONE PIECEのルフィとジンベエの名シーンを題材に「困難・苦難にぶち当たったときの視野を広げる考え方」についてお伝えしました。
イラっとした相手をただの人だと見ているうちは、なかなか受け入れられず、抵抗してしまうものです。
しかしそのままでは、貴重な体験を学び・気づき・教訓に変えられずに、また同じ体験をする羽目になってしまいます。
そうならないためにも、イラっとした相手や出来事を現人神・現事神だと思い、日々ともに成長していきましょう!
ただ最後にこれだけは言わせてください。